2012年4月22日日曜日

オカンの嫁入り

長年、母一人子一人で仲良く暮らしてきた母娘を演じるのは、宮崎あおいと大竹しのぶ。日本映画界のトップを走る女優二人の初共演が話題の本作は、母親の突然の結婚宣言によって揺れ動くさまを、ユーモラスかつ温かく描いた人間ドラマだ。原作は第三回日本ラブストーリー大賞ニフティ/ココログ賞を受賞した人気小説「さくら色 オカンの嫁入り」。母の結婚を素直に喜べず意固地になってしまう娘と、自由奔放であっけらかんとしながらも、愛情深く娘を見つめる母――当たり前の日常にこそ感じる幸せについて、深く考えさせられる。監督デビュー作『酒井家のしあわせ』でも家族のあり方をテーマに求めた呉美保が練り上げた脚本も見事だ。「何故私にも病気の事言ってくれなかったの聞かされて知ってたら結婚することだって理解したのに」と月子は知らなくてつらく当たったことを後悔して話した。母親は「同情されて理解されても嬉しくない」とあっけらかんと言われて返す言葉も無かったのでした。母親は会社勤務を拒否し電車に乗れなくなった独り立ちの出来ない娘を心配している。最後白無垢の衣装合わせに月子を連れて出かけ電車に乗れた事を喜んだのでした。そして娘に結婚できたことを真面目に三つ指突いて挨拶し涙ぐむが、一度嫁ぐ嫁の口上を言いたかったと本音を述べる。そしてこれからも一緒だからよろしくねと確認しあう。変に母と娘のお涙頂戴のドラマではなくてしっかりした親と子の人間ドラマでした。

2012年4月8日日曜日

大殺陣


1964年(昭和39年)東映作品 監督工藤栄一は「集団時代劇」というジャンルという言葉を生み出した著名な監督でした。この作品は「十三人の刺客」を製作した翌年の作品です。そしてこの2作品で集団時代劇の第一人者となりました。4代将軍綱家の世継騒動のヒントを得て作品化されたといわれていて甲府宰相の綱重を後継として大老酒井忠清の一派の陰謀とそれを阻もうとする軍学者山鹿素行の物語となっている。集軍学者・山鹿素行は一党を組織し、綱重の暗殺を計画する。その組織に加担した神保平四郎は仲間の裏切りで最後惨殺されてしまい、それを見ていた浅野又之進は激昂し綱重を殺害するも又之進も惨殺されてしまう。集団化して自分たちの思いを実現しようとするときはその手段はきわめて暴力的に戦うこととなりそれはいつも先鋭化されていくもので、極限の戦いが描かれていく。モノ黒の作品であるがそのすさまじさは今観ていても迫力がありました。このような素晴らしい作品に出会えたことに感謝したい。

2012年2月25日土曜日

楢山節考  


黒子の口上に始まり、歌舞伎の様式を用いた美術や独特の色彩を加えた木下監督の実験的な作品でした。姥捨ての世界を描き人間の残忍な生と死の問題を取り上げた異色な作品でした。深沢七郎原作のこの小説は後に今村昌平監督もメガホンとって再映画化されましたが、雰囲気がまったく違った作品となっている。木下恵介の作品は舞台・観劇を見ている感じとなり、因習と楢山信仰の中での姥捨ての伝説を映像化している。70歳を迎えると親を楢山に捨てにいく古い因習に従い母親は長男の後ろめたさを逆に促して自らを山に捨てに連れて行けと自らを律している。息子がやっと嫁をもらって食い扶持を減らさなければならないという経済的困窮貧しい村の人々の生活の知恵も一因としてある。こんな親子の別れは現代の社会では法に触れ許されないものであるが、昔は当たり前にあったのである。隣の父親は楢山に行きたくないと非常な息子にせがむのであるが息子は村の恥になると言って死をせまる。その虐待される父親を観ていると情けないと諭す母親を見て優しい長男は涙を流すのでした。現代に於いても、高齢化社会の色々な問題がニュースとして流される。親族・家族に見取られることなく一人寂しく老人が死んで行く姿を見ていると今でも姥捨ての現実は環境は変わっていても、続いているのである。昭和33年当時はショツキングな出来事としてこの映画を観ていたが、今では当たり前の単なる一事件として私たちの目の前を通り過ぎ事件として処理されている。逆説的に述べるなら親子の愛情をお互いに感じ合えるものが姥捨て山の伝説にあるということ。現代では核家族が当たり前となり、親子の愛情を肌で感じ合える期間が意外と少なく希薄となっている。僕は楢山信仰を是認するものではないが、この伝説の中に親子の愛が色濃く感じてしまうのは僕だけではないと思っている。死にたくないと叫びながら、子供に谷底に突き落とされる宮口精二扮する茂平老人が哀れと思うも、現代の孤独死と餓死の類も茂平老人と変わりない死なのです。(1958年昭和33年作品)

2012年2月16日木曜日

淡島千景さん逝く 87歳



またひとり、昭和の戦後を代表する女優が亡くなりました。僕にとっては、彼女は大好きな女優の一人でした。昭和25年に宝塚から銀幕に「てんやわんや」でデビューし、昭和30年には森繁久弥と共演し不朽の名作「夫婦善哉」を残してくれました。この作品で彼女はぐうたらな放蕩息子との断ち切れない愛を絶妙な演技で見せて大人の女の色香を見事に演じてくれました。芸者蝶子の役はほかの女優に出来ないと言われた程の最高の演技・絶品といわれたものでした。今BSテレビで山田洋次推薦の日本映画の名作100本を観ていますが、彼女は色んな作品に出演しているのを観てあらためて大女優の一人だと確信しています。「君の名は」「人間の條件」小津作品では「晩春」「早春」そして「真実一路」「本日休診」等東宝では森繁と社長シリーズ作品と「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」など幅広く色んな作品に出ていました。どことなく色気があって気品があって存在感のある人でした。何よりも魅力的なハリかあって艶のある声は忘れることが出来ません。準主役の役柄が似合う女優ででもありました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

本日休診  


日曜日三雲医院の八春先生は本日休診の看板を掲げてゆっくり体を休めて寝ようとするが、人気者で評判の良い先生で珍客が到来しドラマは展開していく。先生は患者始め弱い人々の味方になって奮闘努力する人情味溢れるお医者さんでした。「医は仁術である」という中国の言葉を甥子の院長に語る場面があったが、昔の開業している町医者にはそういう先生が数多くいたのだろうと想像するが、今では少なくなっているのだろう。皆サラリーマン化して大学病院の先生や国の病院の先生になっている。そういう意味ではこの映画は懐かしい下町庶民の開業先生の心温まる映画でした。しかし単なる人生教訓映画でなかった。戦争後遺者である三國連太郎扮する勇作が戦争で頭がおかしくなり時々今でも戦争している気持ちでいた。飼っていた小鳥か怪我をすると「少年兵が怪我をした」と先生に診療をお願いに来る始末。最後夕焼け空に雁が列を組んで北に渡っていく姿を勇作隊長の指揮で見送るシーンに、少年兵達か帰還していくと思った勇作の顔にはなんともいえない安堵感がにじみ溢れ出でいました。この作品は反戦映画だと言う人もいて、戦争後の貧しい苦しい時代から皆が一人ひとり立ち直って他人のために生きていくことを見事に描いてくれました。観終わってみて、こんな先生は少ないかもしれないと思うが監督はこの映画にその理想像を描いてくれたのでした。若い淡島千景・岸恵子・角梨枝子の女優はじめ鶴田浩二・佐田啓二・三國連太郎の男優等はまだ駆け出しの頃だったと思うが、その後日本を代表するスターになったのであるから今では考えられない豪華競演の出演者ばかりでした。(1952年)

2012年2月4日土曜日

恋するトマト


現代の農村の青年たちが抱えている切実な問題は結婚がなかなか出来ないと言う事。結婚したくても若い適齢期の娘は農家に嫁に来てくれないと言う悩みがつきないのです。好き好んで朝から晩まで手を泥んこにして働くことは現代の女性には無理なのです。この映画はそんな問題を背負った農家の一青年がフイリッピンを舞台に繰り広がられる人間ドラマでした。大地康雄扮する男は何回か見合いをするも最後断れる始末。そしてフイリッピンの娘の実家まで出かけ、結婚式の支度金まで詐欺に合って異国の地で乞食になる始末。そんな中現地の日本人に現地の女を日本に送りつける仲介人に助けてもらい、女たちに売春させたり芸を教えたりして日本人に送りつける仕事。女衒まがいの仕事でした。ある日フイリッピンの農家で稲刈りをしている風景に彼は日本で頑張って米作りしている農家の田畑の原風景を思い出した。そして家族・父母を愛して生きている農村の彼女に出会うのでした。彼は一目惚れしたし彼女もだんだん彼の人間性に引かれていくのでした。しかし彼女の両親は日本は遠いと言って許してくれなかった。意気消沈して日本に戻ってくるのでした。ラスト場面はその彼を追ってフイリッピンから日本に一人で彼女は結婚しにやってくれるのでした。こんなハッピーエンドの映画は良くあることなのですが、いつであっても心安らかで心温まるものでした。現実にはこんなにうまくいく幸せの密度の濃いことは無いもので、あっても短い一瞬なのだ。ですから映画を見ることは何度もその感情を思い出させてくれると言うことです。自分の人生の幸せを思い出しているのだと思っています。人間の持つ感情の喜怒哀楽は感情の高揚感を高めてくれます。誰もがそれによって生きているという充実感を120%感じるものだ。映画を観る衝動の原点はごく自然に感じいる高揚感の自覚なのだと確信しています。

2012年1月21日土曜日

兄とその妹


昭和14年 監督島津保次郎 松竹大船
古き良き時代の松竹大船の大御所監督の作品でした。この作品は前作「隣の八重ちゃん」に次ぐホームドラマの礎を築いた記念碑的作品と云われました。そして昭和14年の作品としては古さを感じさせないきわめてモダンな映画という感じでした。妹の桑野通子が通勤のコートがものすごく現代風でカラフルなデザインで、また朝の食卓は今と変わらないパンと紅茶とバターでした。中流な平凡の家庭の話で、佐分利信の間宮敬介はちょつとした会社のサラリーマンで東京の都心にある会社に妹と通勤している。妹は英語が出来て社長秘書ですらすらと英文タイプを打てる才女なのでした。妻のあき子がまたまた控えめな奥さんで午前様の夫を寝ないで待つ献身的な美人妻でした。夫は会社の重役との囲碁の相手で同僚たちから卑怯な奴だと妬み中傷されるようになる。そんな中重役から妹の縁談を持ち出され話がややこしくなる。敬介いいい縁談と思い、妹のうれしく思っているのだがこの事から兄が逆に自分の縁談のことで兄が痛くもない胆を探られてしまうのでないかと気遣ってきっぱりと断るのでした。兄のために妹が自分の申し分のない縁談をことわるといううのはちょつと封建的な自己犠牲のようであるが家庭の名誉のために家庭が団結するのはやはり美しいことでした。妹の純真な愛情が兄の生きる支えになるという文化伝統が日本にあることが指摘されている。そういえば出勤の忙しい朝妹は自分の出勤の出かけに兄の靴を磨いて行く場面があり妹の兄想いが見事に描かれていました。

2012年1月15日日曜日

暖流


戦前(昭和14年)吉村公三郎監督でこの作品は作られました。私が今回観た「暖流」は新鋭監督の増村保造がメガホン撮った作品でした。戦前の作品ほど評価は高くないがこの作品も見ごたえある素晴らしい作品でした。戦前の作品はまだ観ていないので比較することは出来ませんが、セリフの回転が速くててきぱきとして画面にグイクイ引き込まれていく。特に石渡ぎん役の左幸子のセリフはすごくストレートで日疋祐三の根上淳に対する愛情表現もストレートで表現されついに日疋はぎんの積極性に負けてしまうのである。病院令嬢志摩啓子の野添ひとみも自由奔放であるがそれ以上のぎんでした。こんな積極的な女性は多分存在しないだろう。監督は極端に個性を強烈にヴィヴィドにデフォルト化しているが観る観客には強烈な印象を与えるものです。解説者の山本晋也氏の話によると増村監督はイタリヤに留学しているのでイタリヤ映画の自我の主張の強いところの影響をこの作品は受けていると解説してくれました。駅の改札口で大声で日疋i「二号でも妾でも良いから」と叫ぶシーンは正にイタリヤ風でした。私立病院の入り口の鉄門が開いて映画は始まりラストは二人で鉄門を閉じて出て行くところで終わる。なかなか粋なエンドでした。

2012年1月9日月曜日

関の弥太っぺ


股旅ものシリーズ作品の金字塔と云われている傑作作品。加藤泰監督の2作品も勿論素晴らしい作品でしたが僕はこの作品が一番好きだ。冒頭花を摘む少女お小夜が激流に流されて溺れるところを助けてやる心優しい弥太郎でした。10年前に生き別れた妹を身請けするために探していた道中での出来事でした。その少女を面倒みる羽目となり博打等で貯めた50両をその少女にくれてやり、亡くなったお母さんの実家沢井屋にお小夜を無事届けるのでした。一方やっと探し求めた妹はすでに死んでしまっており、お墓を立て只号泣するだけでした。そして10年後に縁あって命を助けた少女に一目会いたくて出かける。すっかり女らしく成長していた可愛い箱入り娘になっていました。弥太郎は村の鎮守祭りに落とした風車を手渡してやるのでした。あまりに荒んだ弥太郎の顔でしたので娘は助けてくれた人だとは思わなかった。しかし弥太郎には無くなった妹をだぶらせて只々お小夜が懐かしいのである。このシーンは特に素晴らしいし風車の小道具を使って、弥太郎の想いが風のごとく儚く流れ去っていくのをその風車に表現したのでした。子分箱田の森介の木村功がばくちに凝って娘の家に自分があの時のおじちゃんと云って娘の家に無心するのでした。それを知った弥太郎は見逃してやるからこの町ら出て行けと諭すが恋に狂ったのか娘さんが好きになったと云って云うことを聞かない。云っても駄目ならお前は男でないといって切り倒すのでした。そして裏庭の槿の花が一杯咲き乱れた庭で二人はお別れするのです。「この娑婆には悲しいこと、辛れえことがたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ明日になる」その言葉でお小夜が最後にやっと記憶を手繰り寄せ、あの時助けてくれた人だと思い起こし後を追ったがもういない。決闘の場に進むところで映画は完の字でした。確か冒頭のシーンも槿(花言葉信念)の花で、最後も槿の花でした。山下監督はよく花を好んで用いる。この映画のラスト決斗に向かう場面に彼岸花(花言葉死人花)が咲いていた。そしてその後緋牡丹のお竜さんの名作を誕生させてくれるが、この作品が原点になっていると思われる。