2012年2月4日土曜日
恋するトマト
現代の農村の青年たちが抱えている切実な問題は結婚がなかなか出来ないと言う事。結婚したくても若い適齢期の娘は農家に嫁に来てくれないと言う悩みがつきないのです。好き好んで朝から晩まで手を泥んこにして働くことは現代の女性には無理なのです。この映画はそんな問題を背負った農家の一青年がフイリッピンを舞台に繰り広がられる人間ドラマでした。大地康雄扮する男は何回か見合いをするも最後断れる始末。そしてフイリッピンの娘の実家まで出かけ、結婚式の支度金まで詐欺に合って異国の地で乞食になる始末。そんな中現地の日本人に現地の女を日本に送りつける仲介人に助けてもらい、女たちに売春させたり芸を教えたりして日本人に送りつける仕事。女衒まがいの仕事でした。ある日フイリッピンの農家で稲刈りをしている風景に彼は日本で頑張って米作りしている農家の田畑の原風景を思い出した。そして家族・父母を愛して生きている農村の彼女に出会うのでした。彼は一目惚れしたし彼女もだんだん彼の人間性に引かれていくのでした。しかし彼女の両親は日本は遠いと言って許してくれなかった。意気消沈して日本に戻ってくるのでした。ラスト場面はその彼を追ってフイリッピンから日本に一人で彼女は結婚しにやってくれるのでした。こんなハッピーエンドの映画は良くあることなのですが、いつであっても心安らかで心温まるものでした。現実にはこんなにうまくいく幸せの密度の濃いことは無いもので、あっても短い一瞬なのだ。ですから映画を見ることは何度もその感情を思い出させてくれると言うことです。自分の人生の幸せを思い出しているのだと思っています。人間の持つ感情の喜怒哀楽は感情の高揚感を高めてくれます。誰もがそれによって生きているという充実感を120%感じるものだ。映画を観る衝動の原点はごく自然に感じいる高揚感の自覚なのだと確信しています。
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