2012年2月25日土曜日

楢山節考  


黒子の口上に始まり、歌舞伎の様式を用いた美術や独特の色彩を加えた木下監督の実験的な作品でした。姥捨ての世界を描き人間の残忍な生と死の問題を取り上げた異色な作品でした。深沢七郎原作のこの小説は後に今村昌平監督もメガホンとって再映画化されましたが、雰囲気がまったく違った作品となっている。木下恵介の作品は舞台・観劇を見ている感じとなり、因習と楢山信仰の中での姥捨ての伝説を映像化している。70歳を迎えると親を楢山に捨てにいく古い因習に従い母親は長男の後ろめたさを逆に促して自らを山に捨てに連れて行けと自らを律している。息子がやっと嫁をもらって食い扶持を減らさなければならないという経済的困窮貧しい村の人々の生活の知恵も一因としてある。こんな親子の別れは現代の社会では法に触れ許されないものであるが、昔は当たり前にあったのである。隣の父親は楢山に行きたくないと非常な息子にせがむのであるが息子は村の恥になると言って死をせまる。その虐待される父親を観ていると情けないと諭す母親を見て優しい長男は涙を流すのでした。現代に於いても、高齢化社会の色々な問題がニュースとして流される。親族・家族に見取られることなく一人寂しく老人が死んで行く姿を見ていると今でも姥捨ての現実は環境は変わっていても、続いているのである。昭和33年当時はショツキングな出来事としてこの映画を観ていたが、今では当たり前の単なる一事件として私たちの目の前を通り過ぎ事件として処理されている。逆説的に述べるなら親子の愛情をお互いに感じ合えるものが姥捨て山の伝説にあるということ。現代では核家族が当たり前となり、親子の愛情を肌で感じ合える期間が意外と少なく希薄となっている。僕は楢山信仰を是認するものではないが、この伝説の中に親子の愛が色濃く感じてしまうのは僕だけではないと思っている。死にたくないと叫びながら、子供に谷底に突き落とされる宮口精二扮する茂平老人が哀れと思うも、現代の孤独死と餓死の類も茂平老人と変わりない死なのです。(1958年昭和33年作品)

2012年2月16日木曜日

淡島千景さん逝く 87歳



またひとり、昭和の戦後を代表する女優が亡くなりました。僕にとっては、彼女は大好きな女優の一人でした。昭和25年に宝塚から銀幕に「てんやわんや」でデビューし、昭和30年には森繁久弥と共演し不朽の名作「夫婦善哉」を残してくれました。この作品で彼女はぐうたらな放蕩息子との断ち切れない愛を絶妙な演技で見せて大人の女の色香を見事に演じてくれました。芸者蝶子の役はほかの女優に出来ないと言われた程の最高の演技・絶品といわれたものでした。今BSテレビで山田洋次推薦の日本映画の名作100本を観ていますが、彼女は色んな作品に出演しているのを観てあらためて大女優の一人だと確信しています。「君の名は」「人間の條件」小津作品では「晩春」「早春」そして「真実一路」「本日休診」等東宝では森繁と社長シリーズ作品と「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」など幅広く色んな作品に出ていました。どことなく色気があって気品があって存在感のある人でした。何よりも魅力的なハリかあって艶のある声は忘れることが出来ません。準主役の役柄が似合う女優ででもありました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

本日休診  


日曜日三雲医院の八春先生は本日休診の看板を掲げてゆっくり体を休めて寝ようとするが、人気者で評判の良い先生で珍客が到来しドラマは展開していく。先生は患者始め弱い人々の味方になって奮闘努力する人情味溢れるお医者さんでした。「医は仁術である」という中国の言葉を甥子の院長に語る場面があったが、昔の開業している町医者にはそういう先生が数多くいたのだろうと想像するが、今では少なくなっているのだろう。皆サラリーマン化して大学病院の先生や国の病院の先生になっている。そういう意味ではこの映画は懐かしい下町庶民の開業先生の心温まる映画でした。しかし単なる人生教訓映画でなかった。戦争後遺者である三國連太郎扮する勇作が戦争で頭がおかしくなり時々今でも戦争している気持ちでいた。飼っていた小鳥か怪我をすると「少年兵が怪我をした」と先生に診療をお願いに来る始末。最後夕焼け空に雁が列を組んで北に渡っていく姿を勇作隊長の指揮で見送るシーンに、少年兵達か帰還していくと思った勇作の顔にはなんともいえない安堵感がにじみ溢れ出でいました。この作品は反戦映画だと言う人もいて、戦争後の貧しい苦しい時代から皆が一人ひとり立ち直って他人のために生きていくことを見事に描いてくれました。観終わってみて、こんな先生は少ないかもしれないと思うが監督はこの映画にその理想像を描いてくれたのでした。若い淡島千景・岸恵子・角梨枝子の女優はじめ鶴田浩二・佐田啓二・三國連太郎の男優等はまだ駆け出しの頃だったと思うが、その後日本を代表するスターになったのであるから今では考えられない豪華競演の出演者ばかりでした。(1952年)

2012年2月4日土曜日

恋するトマト


現代の農村の青年たちが抱えている切実な問題は結婚がなかなか出来ないと言う事。結婚したくても若い適齢期の娘は農家に嫁に来てくれないと言う悩みがつきないのです。好き好んで朝から晩まで手を泥んこにして働くことは現代の女性には無理なのです。この映画はそんな問題を背負った農家の一青年がフイリッピンを舞台に繰り広がられる人間ドラマでした。大地康雄扮する男は何回か見合いをするも最後断れる始末。そしてフイリッピンの娘の実家まで出かけ、結婚式の支度金まで詐欺に合って異国の地で乞食になる始末。そんな中現地の日本人に現地の女を日本に送りつける仲介人に助けてもらい、女たちに売春させたり芸を教えたりして日本人に送りつける仕事。女衒まがいの仕事でした。ある日フイリッピンの農家で稲刈りをしている風景に彼は日本で頑張って米作りしている農家の田畑の原風景を思い出した。そして家族・父母を愛して生きている農村の彼女に出会うのでした。彼は一目惚れしたし彼女もだんだん彼の人間性に引かれていくのでした。しかし彼女の両親は日本は遠いと言って許してくれなかった。意気消沈して日本に戻ってくるのでした。ラスト場面はその彼を追ってフイリッピンから日本に一人で彼女は結婚しにやってくれるのでした。こんなハッピーエンドの映画は良くあることなのですが、いつであっても心安らかで心温まるものでした。現実にはこんなにうまくいく幸せの密度の濃いことは無いもので、あっても短い一瞬なのだ。ですから映画を見ることは何度もその感情を思い出させてくれると言うことです。自分の人生の幸せを思い出しているのだと思っています。人間の持つ感情の喜怒哀楽は感情の高揚感を高めてくれます。誰もがそれによって生きているという充実感を120%感じるものだ。映画を観る衝動の原点はごく自然に感じいる高揚感の自覚なのだと確信しています。