依前VHSテープに録画していた作品でしたが、今はもう時代も変わり技術も日々進歩し録画もDVD時代に移行。引越しを契機に、先程録画していたVHSテープを全部断腸の思いで廃棄しました。 今回この作品が即BSテレビで放送されるとわかりホット安心しBDに録画しました。無くした大切なものが見つかったという安堵と喜びに浸っています。そのくらいこの作品には愛着をもっているのです。巨匠今井正監督が樋口一葉の3作品を3話にオニバス作品化してくれました。明治時代の貧困な庶民の姿を見事に再現してくれました。特に第3話の「にごりえ」は好きでした。貧しいその日暮らしの内職で生計をたてている杉村春子の夫宮口精二が女郎淡島千景に恋してしまった。なんとしても昔の優しい夫に立ち戻って欲しいと子供の為に家に戻ってきて欲しいと夫に懇願し詰る。分かってくれない夫に愛想つかして家を出て行く。自暴自棄になった夫は淡島千景に無理心中を図る。芸岐千景には惚れていた旦那山村聡がいるが二人の間も煮え切らないのだ。だから無理心中なのか分からない。そんなはかない一生をけなげに人間らしく生きていくことは難しいのだ。
2011年6月26日日曜日
にごりえ 1953年
依前VHSテープに録画していた作品でしたが、今はもう時代も変わり技術も日々進歩し録画もDVD時代に移行。引越しを契機に、先程録画していたVHSテープを全部断腸の思いで廃棄しました。 今回この作品が即BSテレビで放送されるとわかりホット安心しBDに録画しました。無くした大切なものが見つかったという安堵と喜びに浸っています。そのくらいこの作品には愛着をもっているのです。巨匠今井正監督が樋口一葉の3作品を3話にオニバス作品化してくれました。明治時代の貧困な庶民の姿を見事に再現してくれました。特に第3話の「にごりえ」は好きでした。貧しいその日暮らしの内職で生計をたてている杉村春子の夫宮口精二が女郎淡島千景に恋してしまった。なんとしても昔の優しい夫に立ち戻って欲しいと子供の為に家に戻ってきて欲しいと夫に懇願し詰る。分かってくれない夫に愛想つかして家を出て行く。自暴自棄になった夫は淡島千景に無理心中を図る。芸岐千景には惚れていた旦那山村聡がいるが二人の間も煮え切らないのだ。だから無理心中なのか分からない。そんなはかない一生をけなげに人間らしく生きていくことは難しいのだ。
2011年6月11日土曜日
緋牡丹博徒 1968年
監督:山下耕作 出演:藤純子 高倉健 大木実
この作品は藤純子という女優を不世出の大女優にしたまさに“歴史的な“シリーズ緋牡丹博徒の第一作目です。熊本の博徒・矢野一家の一人娘として育った矢野竜子が、父親を大木実の辻斬りに殺された。一家は離散し、堅気の男との結婚をもあきらめる羽目になるという波乱万丈の始まりでした。山下監督は最初からこの作品を東映のドル箱シリーズにしよういう意気込みでした。藤純子(既にこのとき22歳のおんな盛り)も監督の期待に見事に答えた作品でした。脚本家の鈴木則文が肥後熊本の出身であり、それによりお竜さんの生まれも肥後熊本に決まったそうです。従って矢野竜子は熊本弁なのである.「お嬢さん!!五ツ木の子守唄を」とお竜にせがむ子分の山本麟一臨終の願いを叶えて子守唄を歌うお竜さんでした。娘時代の健気な愛くるしい一人の女が親の仇討ちを誓い、故郷を終われ旅に出たのでした。一食一飯の義理を受け博徒の道に入る女の意地・侠気のお竜は女の気持ちを捨て男になる覚悟をするのである。しかし女を捨てようとしても、凛とした凄烈なる顔つきには、色香もあってまさに妖艶で官能的な女の中の女の美しさなのでした。女の任侠道映画によって東映の任侠映画は更に爆発的な幅広い支持を受けたのでした。こんな美しい女優はもう二度と現れないと思われる。まさに不世出のスターとなったのである。いつまでも私の脳裏にくっきりと浮かび上がる女優のひとりとして刻み込まれた。色彩に拘ってきた山下監督が赤い緋牡丹を基準にして、けがれを知らない娘時代にはいつも背景に白い緋牡丹でした。そして唯一人の子分ふぐ新が死んだ瞬間は黒い緋牡丹でした。そして映画のスタートとラストの場にお竜さんがご挨拶をする背景は真っ赤な緋牡丹の色でした。燃えるような赤の色でした。このシリーズ第1作目の熱情を感じ取ることができました
2011年6月6日月曜日
無法松の一生 1958年
裸の島 1960年
昭和35年 監督 新藤兼人 出演 乙羽信子 殿山泰司
BSテレビ放送でこの作品を鑑賞しました。全編会話セリフがない映画でしたが、画面に滲み出る映像はセリフを上回る感動を与えてくれました。瀬戸内海の無人の島に貧しい生活をしている親子4人の姿を淡々と描いていました。本島から毎日水を桶に汲んで夫婦二人で4つの桶に天秤に担いで島の開墾した畑に柄杓で野菜に水をやる日常仕事の繰り返しを丹念に描いていて、人間の一生はこの繰り返しだという諦念のなかに夫婦親子のあり方を暖かく描いてくれました。大切な桶水を足を滑らして水をこぼしてしまった時、夫は平手うちを妻に食わした。それだけに貴重な大切な水だったのでした。熱病で長男を失った妻は一度だけその悲しさをやるせなさを体で爆発させおけ水をひっくり返して育てていた野菜をむしりとって嗚咽し泣き崩れたのでした。夫は今度は平手うちをするのでなくただ黙ってこらえていたのでした。妻の気持ちを理解し労わるような眼差しで見つめていました。一番ジーンと来ました。なんだか人間のつまらない毎日の繰り返しを描いているのかと思いましたが、観終わってみると何か考えさせる意味の深い作品と考えるようになりました。日常の同じ繰り返しの中からしか人生の意義を見つけだすことは出来ないのものであると。
登録:
投稿 (Atom)