2011年12月5日月曜日

人情紙風船

 昭和12年 監督山中貞雄  稀世の天才と謳われた山中貞雄のわずか3作品のひとつの代表的作品を見ました。なんとなくこの作品の底辺にには、いつの時代も人間と人間との関係は紙風船のごとくはかないものであるという厭世観・無常観が 漂っていたと考えさせられる作品でした。映画の始まりは長屋の首吊り浪人で終わりは浪人海野の妻の自殺でした。死から死で終わる。しかし単なる暗い映画ではなく、長屋の一人一人は生きることへのエネルギッシュが満ち溢れていていました。その代表が髪結新三でした。彼は意地を貫き通そうとする気風の良い男でした。長屋の家主も人の良い人でした。そんな中に仕官を求めて昔父にお世話になった代官に職をお願いする海野浪人夫婦がいました。人の情けにすがろうとしてはいけないし所詮人間は一人であるという想いを監督は見事に描いてくれました。最後の長屋のどぶ溝に落ち流れてゆく紙風船にこの映画のすべてが凝縮しているような気がしてならない。

切腹

 昭和37年  監督 小林正樹 出演 仲代達矢
小林監督は人間の條件で戦争の悲惨さを見事に描いてくれました。今回は武士道のあり方の悲惨さをこの作品でみごとに描いてくれました。江戸時代の安定期に入って、戦さもなくなり、お家取り潰し・お家断絶等で浪人が江戸に集まり出した。食べるために職を求めて幕府に仕官を求めるがなかなか禄にありつけない。武士の魂の切腹することによって、それをえさにして金品を要求するたかりが流行しだした。仲代扮する津雲浪人の娘婿は高熱を出した子供を医者にみてもらう診察料もなくついに井伊家江戸上屋敷の前で切腹すると虚言を装った。引き止めてくれるものとして金品をもらって引き止められると思っていたが、逆に「いまどき見上げた武士の鑑」といって場所を本当に提供してくれた。そこから悲劇が始まりました。死ぬつもりでなく只お金を欲しかっただけなのに。一日だけ待ってくれと懇願するも認められず、しかも義理の息子はお金に窮して刀を売ってしまい腰には竹光の刀でした。切腹も竹光で強いられ、最後介錯人にくびを落とされ無残な死体となって井伊家の武士3人によって津雲に返された。そして3ケ月後同じく井伊家上屋敷に津雲浪人は切腹場所の提供依頼にやってきた。前回と同じく場所の提供をするが津雲浪人が介錯人を指示するも、3人とも不在であった。津雲浪人は3人に既に復讐していて武士の象徴の髷を切り取っていたのでした。二人の関係を知った井伊家屋敷では狼藉ものとして捕らえようとするが何人もの犠牲者を出して井伊家の家宝である甲冑をしめた鎧兜の人形が無残にも打ち砕かれていた。切腹という行動はすでに形骸化してしまったのでした。